《館山城天守閣》
館山城
 館山市は房総「古くは安房国」の中心地で、低い山並みに三方を 囲まれた平野部にあり、現在の人口は5万人余り・・、1年中温暖な気候で 地域によっては霜の降りない「無霜地帯」があり、路地花の栽培が 盛んである。また、西側が(東京湾側)に開けているため古くからの交通、軍事の要であった。
《戦国時代の状況》
安房に10代170年にわたって君臨した里見氏の城。天正18年館山城完成と同時に、 小田原の北条氏直が豊臣秀吉の軍門に降ったが、義康は小田原攻め参陣の遅きを責められ、 その領地は安房一国9万2千石とされた。10代忠義の時、徳川外様大名排訴策の犠牲となり、 領地を没収され、この時館山城は破却された。(1619年)
《江戸時代の状況》
 その昔、安房館山は戦国大名里見氏の割拠するところであったが、 里見忠義が大久保長安・忠隣事件への連座を理由に改易。 この館山藩の稲葉家は山城淀藩の分家である。 後に、上総安房で1万石に達し、諸侯に列し、居所を安房館山の 里見氏の古城の麓に定め、五代続いて幕末に至る。
《南総里見八犬伝》
忠義の悲劇の最後に殉じた8人の家臣は、滝沢馬琴の「南総里見八犬伝」のモデルとなったのは あまりに有名である。